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繋船柱碑
更新日:2024年1月23日更新
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江戸時代興津は、東北諸藩の廻米交易船の碇泊地として、房総沿岸有数の避難港として、いわゆる興津千軒の繁栄をもたらした要港でした。殊に穀倉を誇る仙台藩はその往来が最も激しく、興津天道山下に陣屋を置き、寄港船の取り締まりや連絡等にあたらせたといわれています。この柱も当時仙台藩によって運ばれたもので石巻近在に産する粘板岩、通称仙台石でできています。
かつて港の弁天崎磯際に十数本も並立し、これに繋留する船舶は一艘につき金1朱と御供米2升、500石以下は200文を妙覚寺に納めたといわれています。
交通機関 | JR上総興津駅より徒歩10分 |
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場所 | 勝浦市興津 |
連絡先 | 生涯学習課:生涯学習係 Tel:0470-73-6665(直通) |
時期 | 一年中 |
料金 | 無料 |
定休日 | |
駐車場 | あり |
その他 | 繋船柱碑は興津海浜公園にあるため 興津海岸の散策も楽しめる。 |